ほぼ月いちメッセージ(令和4年2月23日)
2回目のほぼ月いちメッセージになります。
今回の「ほぼ月」は「時代の流れ」みたいな話をつらつらと記したいと思います。
先日令和4年2月1日、石原慎太郎さんがお亡くなりになりました。お悔やみを申し上げると共にご冥福をお祈りいたします。
我々の世代(第二次ベビーブーム)にとって石原慎太郎さんは「太陽の季節」というより「NOと言える日本」だなあと思います。青嵐会、東京都知事の印象も強いですね。正に戦う保守政治家であり、昭和の高度成長的なエネルギーを感じていました。
私は石原慎太郎さんがお亡くなりになったことは、歴史的な意味があると思っています。東京一極集中という流れのターニングポイントとなる。そんな気がしています。
考えてみれば明治以降、天皇陛下が京都から江戸に移られ政治を司る中で、近代日本が作り上げられましたよね。それこそ東京が、政治も文化も経済も中心となる流れがスタートしたんだと思います。まさに近代中央集権国家が作り上げられていく。
明治の日清日露戦争には勝利したものの昭和の戦争では敗れ、天皇陛下は象徴となりました。権力的な役割から離れ、権威としての役割を担うことになりました。この時点で、私は天皇陛下が京都にお戻りいただければ良かったなあと思っています。が、歴史はそうはなりませんでした。
昭和の敗戦以降は正に東京が首都として政治・経済・文化の中心として、それこそ一極集中と言われるような発展を遂げました。人口動態を見ると、現在までその肥大化は進んできたと思われます。地方分権が活発に議論された2000年初頭以降も、結果として東京一極集中の流れは変わりませんでした。その象徴的な政治家として石原慎太郎さんがいたと、私は捉えているのです。
でもいよいよ、その流れも変わりつつあるように思えます。
大阪維新の会という現代政治史のトピックは、東京一極集中から、大阪へ関西への流れを作る原動力となっていると思います。さらには文化庁の京都移転(報道によると2022年度に一部実施され今後も順次進められていくようです)、加えて2025年大阪万博も実施されます。関西を日本のダブルエンジンの一つとして再興するためには、天皇陛下が京都にお戻りになることが必須条件だと考えております。
私のライフワークは以下の5テーマです。
「全ての人々が、いつでも・どこでも・誰でも学べる生涯学習社会」
「公立小中学校へ行くことができなくなったとしても、多様な学習機会が提供される色んな学びが可能な社会」
「都市の既存資源を循環させて生業を生み出し地球環境と呼応する社会」
「多様な他者と触れる機会としての文化芸術政策推進社会」
「都市に居心地の良さを提供できる緑地環境充実社会」
これらのライフワークを形にするために、日々考えを巡らせています。そして、時に現場へ足を運び時に関連図書を調べたりしながら、茨木にあった具体像を目指して活動しております。
本年2回目の「ほぼ月いちメッセージ」といたします。(令和4年2月23日)
上田ミツオ拝