もともと政治に縁もゆかりもない家庭環境で育ちました。
祖父は大工、父は建設の仕事でした。子供の頃、材木置き場で遊んでいた記憶があります。
政治の世界に入って、一度落選している4年間も含めて20年近くになりました。
そんな私が政治へ挑戦した時のはじめの志は
「信頼される政治を目指すこと」
でした。
高校時代に起こったリクルート事件がきっかけです。キャプテンが信頼されなければ良いチームにならないように、リーダーが信頼されなければ良い社会にならないはずだと実感していました。政治の基本は信頼されるところから始まる、そう確信しています。
議員になってから現在まで、この感覚は全くぶれていません。
平成28年には100条委員会の委員長という大役も果たさせていただきました。
今でも、自分が本当に思っていることを言葉で伝え、それを選挙で評価いただきたいと思っています。また、もし自身の発言に間違いがあれば訂正し、有権者の皆様に公正に判断いただけるよう言葉を尽くして仕事をしていきたいと思っています。
これからも言葉を大切に、「信頼される政治」を実現するために行動して参ります。
次に、私のライフワークをお伝えいたします。
一言で表すと
「アート建築まちづくりバカ一代」
と言うことができます。核心ある言葉を選んだために少し漫画的なキャッチフレーズになっています。
アートは人の心に力を与えると考えています。
アートは常識を打ち壊し新しい見方を提示するものでもあります。
アートは街に彩りを生み出す力もあります。
アートについて心を動かされ、深く考えるきっかけを与えられたのはゴッホの絵でした。
芸術など全く縁のないスポーツ少年が2002年兵庫県立美術館でのゴッホ展に打ちのめされたのです。いつものように混雑した会場を急いで出口に向かっていました。その時、出口近くの一枚の絵に足を止められたのです。
「何この絵」。
一枚の絵に肩を掴まれたような感覚になりました。それまで全く興味がなかった絵というものに、初めてつかまれた瞬間でした。それ以降、絵画を見始めました。そして、芸術を通して様々なことを学ぶことができました。現在は、芸術政策をライフワークとして活動しています。
茨木市から芸術を通して、豊かな街をつくり上げていきたいと思っています。
そして、芸術を通して国際交流も進めていきたいです。実は、大きな歴史の流れから見て、21世紀のこれからアジアの地域で芸術活動が活発になると考えられます。数百年前の西欧の文明が隆盛し始めた頃にルネサンス が起こったように、アジア地域でも芸術活動が勃興すると考えています。それを「新アジア文芸復興」と私は呼んでいます。この「新アジア文芸復興」の拠点として日本が役割を担ってほしいと思っています。そして、私の住んでいる茨木市でもその流れを受け止め生かせる取り組みを進めていきたいと思っています。
次に、建築とまちづくりです。
建築は、もともと身近にありました。祖父も叔父も父も建築建設の仕事をしていました。材木置き場の木の匂いが記憶に残っています。おがくずがあり、材木があり、大工さんがいる環境で育ってきました。
にもかかわらず、身近にあった存在の建築にそれほど興味をもてずにきました。
はじめに、建築や都市に興味を持ち始めたのは安藤忠雄の存在だと思います。私がゴッホと衝撃的な出会いを遂げた兵庫県立美術館は安藤さんの作品です。シンプルでいて迷路のような空間構成に圧倒されました。また、自宅から歩いて行ける場所に「光の教会」があります。安藤さんの傑作の一つです。ここに入った時、初めて建築に感動させられました。建築はこんな感覚を人に与えることができるのか、建築の魅力を実感することができました。
建築をつくること、まちをつくることが地域の魅力、まちの魅力をつくる大切な要素になることを理解し、都市と建築について学びを深めることになりました。
同じ頃森林ボランティアもしていました。輸入材が市場で重宝され、国産材が使用されないという状況でした。そのために人工林が荒廃していき、それに伴い山の保水力が低下し土砂崩れなど自然災害などが増え始めました。このような現実に危機感を持ちました。フィールドから学びを得たいと思い、京大の森里海連関学シンポジウムや美山町芦生研究林でのフィールドワークにも参加しました。国土の保全のためにも、そして自然の生態系を大切にするためにも、また地域の経済循環を生み出すためにも国土の7割を占める森林の活用をする方策を考えなければなりません。
山と建築、山と都市で再び循環のサイクルを実現したい。
茨木市は北半分が山間部です。北摂山系に連なるまちであります。だからこそ取り組めることがあることに気づきました。同時に、建設現場の仕事で垣間見たのがスクラップアンドビルドの現実です。解体された木材がほとんど産業廃棄物として焼却される現実を目の当たりにしました。処分した材木の中には、使用可能と思われる大口径の木材もありました。あまりにも簡単に解体処分する現実に違和感を持ちました。日本民家再生協会の会員になったりしながら、木材リサイクルの取り組みについても学び始めました。
都市においても循環のサイクルを実現したい。
少し大きな視点ではありますが、日本には式年遷宮という仕組みがあります。20年に一度社殿が造り替えられる儀式で1300年にわたって繰り返されています。平成25年には62回目が古式のままに行われました。この1000年以上続けられている仕組みは、山とまちを循環させるヒントになります。式年遷宮はお伊勢さんの周辺のまちぐるみで実施しています。山で木をつくるところから材料にして運搬するところまで祭りという形で行われます。また装飾品など多くの伝統工芸品も新たに新調されるのです。まさに地域の経済を循環させる取り組みを伊勢の地で1000年以上実行し続けているのです。この取り組みを現代に置き換えたらどんな形になるか考えたいのです。
21世紀版の式年遷宮を実現したい。
私は、以下のビジョンを目指します。
茨木市から
「森林循環環境都市」を目指します。
そして、アートを生かしたまちづくりを推進し、国際交流も推進し、アジアに起こる芸術復興の拠点を目指します。
これが私のライフワークとしてのビジョンです。